宗教を超えて…マザー・テレサ
2012年08月26日
今日8月26日は…
マザー・テレサの誕生日。
マザー・テレサ(Mother Teresa、本名はアルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ (Agnesa/Antigona Gongea Boiagi)、アルバニア語でアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ (Agnes Gonxhe Bojaxhiu)、1910年8月26日 -1997年9月5日)はカトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。
「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。カトリック教会の福者。
コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。
1929年から1947年までテレサはカルカッタの聖マリア学院で地理を教えていた。
彼女は子供の頃から地理が好きで、また、ユーモラスな彼女の授業は、学院の女学生達の間で大変人気が有ったらしい。
1944年には校長に任命されている。
上流階級の子女の教育にあたりながら、テレサの目にはいつもカルカッタの貧しい人々の姿が映っていた。
彼女自身の言葉によると
1946年、汽車に乗っていた際に「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたという。
彼女は修道院を離れて活動を行う許可を求めたがバチカンの修道会管轄庁などカトリック教会の上層部は慎重に評価を行おうとし、すぐには彼女の活動に対する認可を与えなかった。
それでもテレサは自分の信じる道を進もうと決意していた。
1950年から修道会設立の許可を得た。これが「神の愛の宣教者会」である。
テレサによれば、同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことであった。
テレサは修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれるようになる。
インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院をゆずりうけたテレサは「死を待つ人々の家」というホスピスを開設した。
以降、ホスピスや児童養護施設を開設していく。
活動の初期の頃は、地元住民たちは、キリスト教に改宗させようとしているという疑念を抱いていた。
しかし、彼女たちはケアする相手の宗教を尊重する姿勢を貫き、亡くなった者に対しては、その者の宗教で看取っていた。
生前からその活動は高く評価され、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。
こういった賞の中で最も有名なものは、もちろん1979年に受けたノーベル平和賞であろう。
テレサは授賞式の際にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと皮製のサンダルという粗末な身なりで出席した。
賞金19万2000ドルは全てカルカッタの貧しい人々のために使われることになった上、授賞式の場においては、「私のための晩餐会は不要です。その費用はどうか貧しい人々のためにお使い下さい」とも要望した。
賞金を受け取った時、「このお金でいくつのパンが買えますか」と言ったという。
インタビューの中で「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたテレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を愛してあげてください」。
Google 検索: wikipedia.より転載
http://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&cd=1&ved=0CBQQFjAA&url=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%259E%25E3%2582%25B6%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25BB%25E3%2583%2586%25E3%2583%25AC%25E3%2582%25B5&ei=MLA5UPn0Lar3mAWytoHIDA&usg=AFQjCNGEjjauupQFojWJBuSHvq7X3xMyrA
マザー・テレサの誕生日。
マザー・テレサ(Mother Teresa、本名はアルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ (Agnesa/Antigona Gongea Boiagi)、アルバニア語でアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ (Agnes Gonxhe Bojaxhiu)、1910年8月26日 -1997年9月5日)はカトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。
「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。カトリック教会の福者。
コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。
1929年から1947年までテレサはカルカッタの聖マリア学院で地理を教えていた。
彼女は子供の頃から地理が好きで、また、ユーモラスな彼女の授業は、学院の女学生達の間で大変人気が有ったらしい。
1944年には校長に任命されている。
上流階級の子女の教育にあたりながら、テレサの目にはいつもカルカッタの貧しい人々の姿が映っていた。
彼女自身の言葉によると
1946年、汽車に乗っていた際に「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたという。
彼女は修道院を離れて活動を行う許可を求めたがバチカンの修道会管轄庁などカトリック教会の上層部は慎重に評価を行おうとし、すぐには彼女の活動に対する認可を与えなかった。
それでもテレサは自分の信じる道を進もうと決意していた。
1950年から修道会設立の許可を得た。これが「神の愛の宣教者会」である。
テレサによれば、同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことであった。
テレサは修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれるようになる。
インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院をゆずりうけたテレサは「死を待つ人々の家」というホスピスを開設した。
以降、ホスピスや児童養護施設を開設していく。
活動の初期の頃は、地元住民たちは、キリスト教に改宗させようとしているという疑念を抱いていた。
しかし、彼女たちはケアする相手の宗教を尊重する姿勢を貫き、亡くなった者に対しては、その者の宗教で看取っていた。
生前からその活動は高く評価され、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。
こういった賞の中で最も有名なものは、もちろん1979年に受けたノーベル平和賞であろう。
テレサは授賞式の際にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと皮製のサンダルという粗末な身なりで出席した。
賞金19万2000ドルは全てカルカッタの貧しい人々のために使われることになった上、授賞式の場においては、「私のための晩餐会は不要です。その費用はどうか貧しい人々のためにお使い下さい」とも要望した。
賞金を受け取った時、「このお金でいくつのパンが買えますか」と言ったという。
インタビューの中で「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたテレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を愛してあげてください」。
Google 検索: wikipedia.より転載
http://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&cd=1&ved=0CBQQFjAA&url=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%259E%25E3%2582%25B6%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25BB%25E3%2583%2586%25E3%2583%25AC%25E3%2582%25B5&ei=MLA5UPn0Lar3mAWytoHIDA&usg=AFQjCNGEjjauupQFojWJBuSHvq7X3xMyrA
Posted by Romeo at 16:05│Comments(0)
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